| タマちゃんとクロちゃん |
| 日にちは定かではありませんが、多分、昭和59年(1984年)の冬の夕暮れ時でした。その日のつくば市はとても寒く、みぞれ交じりの小雪が舞っていました。場所は、谷田部町観音台。家族四人で夕ご飯を食べていましたが、猫の小さな鳴き声が、台所のあたりから聞こえてきたのです。家内がドアを恐る恐る開けて見ますと、一匹の猫が、うずくまっていました。 飼い主に捨てられたのでしょう。寒くて、寂しくて、悲しくて、お腹もすいて、必死になって私たちに助けを求めていました。そのような強い気持ちが、その猫のしぐさに現われていました。あまりにも可哀そうなので、家の中に入れてやりました。 これが、タマちゃんとの出会いです。とても素敵なタマちゃんとの出会いでした。 タマちゃんのお腹には子供が入っているようでした。程なく出産となりましたが、大変な難産で、なかなか子供が生まれません。家族一同、心配のあまり、獣医さんに往診を頼みました。 診察の結果、骨盤の発育が悪く、帝王切開以外に親子ともども助かる見込みはないとのことでした。 「タマちゃんのお尻は妙に小さいな」、と思っていましたが、やはり骨盤の発育不良だったのです。それと、後ろ足の発育も悪く、後ろ足を引きずるようにして歩いていました。このようなことが原因で捨てられたのでしょう。しかし、肉体の欠陥を補うためか、素晴らしい反応と頭脳をした気品のある猫でした。以後亡くなるまでの16年間、私たちの大事な大事な家族の一員となり、多くの安らぎを与えていただきました。今もって忘れることができないくらい魅力的な存在でした。 さて、帝王切開のお陰で、元気な子猫が四匹も生まれました。「常陽新聞」に広告を出して、四匹の子猫を猫好きな方に引き取ってもらいました。 数日後に、一匹の子猫が返されてきたのには驚きました。鳴いてばかりいて、まったく慣れないとのことでした。 これが、長男?のクロちゃんです。小さいときは非常な泣き虫でしたが、強く逞しく育ちました。しかし、オス猫(人間も同じ?)の宿命でしょうか、縄張り争いの喧嘩ばかりしていて、生傷が絶えることはなく、家に帰ってくるのはご飯のときだけでした。貪るように缶詰を平らげると、また喧嘩にお出かけです。ご飯が待ちきれなくて、うるさく泣くような時には、お母さんのタマちゃんが宥めていました。 クロちゃんも存在感のある、そして信頼に足る猫であり、我々家族の重要なメンバーでした。 クロちゃんは、タマちゃんが去ってから数年後に亡くなりました。タマちゃんもクロちゃんも、家内の膝の上で、あの世へ旅立ちました。 タマちゃんもクロちゃんも、素晴らしい家族の一員でした。タマちゃんもクロちゃんも、お寺で火葬にしていただき、今は骨壷の中に眠っています。戒名までついています。 彼らの想い出は、我々の心の中に常に存在しています。 |















| 3号館入り口 | 総合案内 |